記事を書くごとに株価が下がっていく。きっちり30万円ずつベースラインが下がっていく。そしてついには、-100万円を超えてしまった。
いつものグラフ
とうとう-100万円越えの-119万円だ。
いつもの感じだと、ここから少し戻して、-98万円になって、さらに少し上がって「今度こそ持ち直すのか」と思わせてまた-98万円付近に下がって、というのを何回か繰り返した末、突然-30万円の急落がやってきて-128万円になるという流れだ。
-119万円の内訳はこんな感じ。確定益が30万円あるので、評価損だけみると約-150万円だ。
どこまで下がるのだろうか。どの銘柄もそろそろ底だろうと思ってからもどんどん下がっている。
「一時的に下がっていたとしても、いずれ上がってくるだろうから特に問題はない」と思ってはいる。ただ、あまり面白くはない。「下がることが面白くない」というわけではなく、売ったり買ったりするのはとても楽しそうに思うのに、上がるのを待っている状態では、売り買いが出来ずにいるので面白味がないという話だ。面白くはないが、「会社を応援するために株式を買う」という目的は果たされていることになるので、不満はない。
「したいこと」「楽しいと思うこと」「出来ること」がそれぞれ違うのでどうしたものかと思う。
「したいこと」「楽しいと思うこと」「出来ること」
「したいこと」と「出来ること」とが違うのは当然あるにしても、「したいこと」と「楽しいと思うこと」が違うのは少し困る。したいことが出来ているので満足はしていても、それだけでは楽しいと思えない。
例えて言うなら『「禁欲的に生きたい」が、「女性とお酒を飲むのは楽しいだろうな」と思ってしまう。「飲みに誘える女性がいない」から女性とお酒を飲むことが出来ず、結果的に禁欲的に生きていることになっているが、女性とお酒を飲みたいという気持ちが消えない』というような話だ。あくまで例えであって、それは私の話ではない。
したいこと
もともと、任天堂の応援がしたいという目的で始めた株式投資だ。「会社を応援するために株式を買う」ことが私のしたいことであって、買った段階で「したいこと」は完了だ。株式を売るのは「したいこと」ではない。
楽しいと思うこと
売り買いを頻回にして、評価損益と確定損益の数字をプラス方向に増やしていくのは楽しいだろうな、と思う。
ただ、それはしたいことと相反してしまっている。売るときに罪悪感を感じてしまう。別に株式で儲けることを悪いことだと思っているわけではない。応援する気持ちで買ったのであるから、逆に売ることは応援の気持ちを減らすことのように感じてしまうのだ。
出来ること
売ったり買ったりが出来れば楽しいだろうが、日中に仕事がある以上はそうもいかない。暇なときにスマホを覗いて指値を入れたりするくらいなら出来るが、上がり下がりを見て売ったり買ったりするほどの時間はない。
いずれにしても
暫くは売り買いが出来なさそうなので、売るべきかどうか葛藤せずにすみそうだ。その間に決算書の読み方やテクニカル分析の勉強をしておきたいと思う。
……と、ずっと前から言ってて、いまだに何もしてないけど。