このままじゃあ、殺される! 幼い頃からの凄絶ないじめ。でも脳内の「私」は醜く太った引きこもりではなく、みんなの憧れの美少女――。嘘にまみれた狂気の果て、想像を絶する残酷な結末!
(河出書房新社公式サイトより)
とにかく救いがなく、主人公をいじめるためだけに書かれたかのような小説。主人公は子供の頃にいじめにあって、自室にひきこもって「自分はみんなの憧れの美少女なんだ」と妄想しながら過ごし、はっと気づいて自分の知らないところでやりなおそうと上京したものの、知らない男に騙され犯され、犯した男の知り合いのスナックで働かされて、風俗店に売られて、客の付きをよくするために脂肪吸引して、整形して……。
承認欲求だけは人一倍だが、器量も要領も悪く、頭の回転も速くない。そうなると承認欲求を満たすためには嘘をついて、人を見下し、自分を大きく見せるしかない。自堕落で嘘つきで、強者には媚を売り、弱者は見下して、我儘が通らないと大声でわめく。
もし、自分の周りにそういう人間がいて主人公と重ね合わせながら読めるなら、主人公がひどい目に合うさまをみて特段に楽しめるのではないだろうか。
幸か不幸か私の周りにそういう人間はいないので「どうか周りに迷惑だけはかけないようにして生きて欲しい」とハラハラしながら読んだ。[/prpsay]
あらすじ
「このままじゃあ、殺される」
その一言から物語は始まる。現実的に命の危険があるわけではなく、あくまでも強迫観念に囚われた思考の上での話だ。しかし、強迫観念に囚われるまでになるには十分な理由があった。
幼稚園時代
主人公の坂浦莉香は香川県坂出市に生まれた。彼女にとっての最古の記憶は、いじめられた過去だった。幼稚園の頃からいじめにあい、幼稚園の先生達からも「だんまりりか」とあだ名をつけられ、誰からもかばわれることがなかった。そのため、幼児にして独りの恐怖を覚えた。
小学校時代
小学校に入ってからは、みんなの興味を引くために嘘ばかりつき、「嘘つきりか」と呼ばれるようになった。嘘つきりかは仲間外れにされ、無視をされ、持ち物は隠され捨てられた。ブスとののしられ、デブだ、ブタだと揶揄された。気持ち悪いものの代名詞として、名前を使われた。そして、″坂浦りかはとても悪い子だから、みんなでいじめてもいい″とされた。それどころか”「だって先生、りかの奴また嘘ついたんや。悪いのは僕らやない。悪いことしたら、ごめんなさいといわないかんのやで。僕ら、親切で教えてやっとるんや」”といった大義名分のもと、いじめは正義の行為とすり替えられた。
中高生時代
中学校になっても状況は変わらず、嘘をついては自分の居場所を狭めていった。一週間のうち、二日は休み、成績も芳しくなかった。高校は同級生がほとんど進む県立高校に入れず、底辺高などと陰口を叩かれる私立の女子高に入ることになった。しかし、すぐに退学することとなる。それから、お金さえ払えば高校卒の資格をくれる学校に編入。一週間に一度くらい出席して、あとは自室で妄想に耽った。身体を動かさず、好きなものだけを食べ、自堕落な生活を続け、部屋は散らかり放題となり、自身はどんどんと太っていった。
東京に行こうと思いつく
ある日突然、東京に行こうと閃く。莉香は思いついたその日のうちに上京した。無論、自分の過去を知られていない世界に踏み出したからといって、自分自身が変わらなければ何も変わらない。東京にいっても同じようなことをして、同じような待遇を受ける。それでも東京は故郷の坂出市とは違って人が多く、主人公と同じような境遇をした似たもの同士で出来たコミュニティが存在し、その中に居場所を見つけ出す。
居場所があったからといって、それはただそれだけのことで「こんな底辺の集まる場所は自分の本来いるべき場所ではない、もっと私は評価されるべきだ」といった思いを抱えたまま生きていき……。
どうか他人に迷惑だけは……。
私はもともと主人公に感情移入するタイプの読者ではないため、感情移入しながら読む人の気持ちはわからない。わからないが、それでもこの作品に関しては感情移入しながら読むことは難しいんじゃないかと思う。
この作品の主人公は一般的にいって好ましいタイプの人間ではない。家庭環境に同情の余地はあるものの、「努力は嫌い。でも、ちやほやされたい。だから、嘘をつく。自分の立場が上なら強気に出るが、下だと思えば媚びを売る」という性格で、しかもその程度が著しく、人から好かれる要素がなに一つない。同じような性格の人なら「最後は幸せになって!」と思いながら読めるのかもしれないが、同じような性格なら、恐らく「自分はこの主人公と同じような性格だ」とは認めないだろう。むしろ、主人公がひどい目に合う様を見て楽しむんじゃないかと思う。私はと言うと「どうか、他人に迷惑だけはかけないで欲しい」と思いながら読みすすめていた。
最後に
[prpsay img=”http://gamesukio.com/books/wp-content/uploads/2019/04/IMG_4369.png” name=”げいむすきお”]最後の最後まで救いのない物語。作者は主人公のような女が嫌いで、ただただいじめたいがためだけに書いたのじゃないだろうかと思うような作品だった。「自堕落で周りに媚を売って、嘘をついてでも自分を大きく見せて、わがままが通らないと大声でわめきたてるような女に迷惑をかけられている」と感じている人はストレス解消になるかもしれない。
ただ、現実の問題として、この小説の主人公ほどドラマチックに波のある人生でなくとも、この主人公のどん底近くの部分を地で行くような人は一定数いると思う。目立ちたくても何の能力も持っていない。地道にこつこつと何かを積み立てていくことも出来ない。それなのに目立ちたいという欲求をおさえることもできない。何の能力ももたないが誰かに認められたいがために、若いというだけでお金が稼げるおじさん向けのスナックでちやほやされて、そこで稼げなくなるとあとは風俗で働く位しかなくなって……。
小説の中の人物だから、周りに迷惑をかけないようにひっそりと生きて欲しい、迷惑をかけたならかけただけの応報を受けて欲しいと思うが、現実にもこれに似た境遇の人間がいるだろうことを思うと、因果応報を願うだけではおさまらなくなる。
世間が悪いと言っておしまいにできる話でもない。最終的には世間ではなく自分が悪いわけで、因果応報、自業自得に落ち着かざるを得ないのだが、器量が悪い、頭の回転が遅いのは本人の責任ではないところが難しい。加えて、困難に見舞われたときにどうするのがよいかという教育も受けていない。
どこがどうだったら、この主人公は幸福な人生を生きれたのか、もしくは、これこそが主人公にとっての一番幸福な人生だったのか、と考えるとやりきれなくなる話だった。[/prpsay]