『アーモンド』ソンウォンピョン【ネタバレなし】韓国版『コンビニ人間』か。共感能力の極めて低い主人公の物語。

内容(公式サイトから引用)

 扁桃体(アーモンド)が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができない十六歳の高校生、ユンジェ。そんな彼は、十五歳の誕生日に、目の前で祖母と母が通り魔に襲われたときも、ただ黙ってその光景を見つめているだけだった。母は、感情がわからない息子に「喜」「怒」「哀」「楽」「愛」「悪」「欲」を丸暗記させることで、なんとか“普通の子”に見えるようにと訓練してきた。だが、母は事件によって植物状態になり、ユンジェは、ひとりぼっちになってしまう。そんなとき現れたのが、もう一人の“怪物”、ゴニだった。激しい感情を持つその少年との出会いは、ユンジェの人生を大きく変えていくーー。

 怪物と呼ばれた少年が愛によって変わるまで。

(祥伝社公式サイトより)

げいむすきお
げいむすきお

 2020年本屋大賞翻訳小説部門一位の作品。ただそれだけなら、多分この小説は読んでいなかったと思う。読もうと思ったきっかけは、本屋大賞以外に三つあった。

 一つは、私の好きな小説「コンビニ人間」と似通った部分があったこと。
 一つは、そのコンビニ人間の作者村田沙耶香と、この作品の作者ソンウォンピョンが同じ年齢、同じ性別であったこと。
 一つは、「サイコパスは偏桃体が小さい」という話を読んだところだったこと。
 
 ちなみにサイコパス云々は、この作品の主題とは何の関係もなかった。残り二つの動機に関しては、本文中で詳細を書きたいと思う。

あらすじ

生まれつきの特徴

 主人公ユンジェは生まれつき脳のある部分が人より小さく、その働きが弱かった。そこはアーモンドに似た形をした偏桃体と呼ばれる部位で、司るのは「情動反応の処理」だった。そのため彼は、感情が薄く、喜怒哀楽はおろか愛憎欲の意味も理解できない。当然、人の感情を理解することも難しかった。医師にはアレキシサイミア(失感情症)だと診断されていた。

感情が薄いことに対する対策

 表情の変わらない主人公が、同級生に「変わり者だ」と思われ、除け者にされることがないように、母は対策を立てる。感情が理解できなくても適切な反応が出来る様に、反応を記憶させようとしたのだ。

車が向ってくる」なら「できるだけ離れる、近づいたら逃げる」。「人が近づく」なら「ぶつからないように片側に寄る」。「相手が笑う」なら「自分も微笑む」。「表情については、どんなときも、とにかく相手と同じ表情をすると考えよう」。

 幼少期は「少し変わっている」程度に思われるだけだったが、小学校に入り、学年が上がるにつれ、同級生は色んな意図を持つようになり、人間関係は複雑になって、表面上の言葉に対して反応するだけでは周りに溶け込めなくなっていった。さらに困ったことに、母からアドバイスがもらえない状況が訪れる。

出会い

 そんな中、ユンジェはゴニに出会う。ゴニは小さい頃に誘拐され、身元が分からないままに施設を転々とさせられて、生きてきた少年だった。そういった事情であるため、十分な教育を受けたとも言い難かった。
 ゴニは感情は豊かだが暖かい家庭を知らず、暖かい家族に恵まれながら感情の薄いユンジェとは正反対だった。

 そんな二人が少しずつ交流を深めていく。

寛容な社会とは

「多様性を認めよう」という時代が続いている。続いているというのは、つまり、未だ達成できていないということだ。
 とはいえ、少しずつ色んな所で認められつつはある。

 例えば、LGBTQ+。当人たちにとっては、まだまだ認められたと言えないような状況だろうとは思うが、それでも一昔前の様にLGBTQ+を笑いものにしようというような風潮はなくなっている。
「趣味嗜好性向性格は人それぞれで、他人がとやかく言うべき問題ではない」という論はこの先もずっと続くだろう。

 さて、この物語の主人公である。この物語の主人公ユンジェは、脳の偏桃体という場所が小さいために、感情が極めて薄い。それゆえ、他人の感情を推し量ることが出来ない。空気を読むことが出来ない。自分の中にないものを想像することは難しいため仕方がないだろう。
 小学校では頓珍漢な受け答えのせいで皆に笑われていた。感情がない人間は、寛容な社会を目指す現代においても、受け入れられないのである。

変わっていくのかいかないのか

 ユンジェは社会に溶け込めないがゆえに、同じく社会に溶け込めないゴニと仲良くなる。感情豊かな社会不適合者であるゴニとの交流を通して、ユンジェも様々なことを学んでいく。

社会として個人として

 彼にとってのハッピーエンドとはなんなのだろうか? 小説の結末にたどり着く前に、一度想像してから読んで欲しいと思う。

考えられる様々な結末
  1. 彼は彼のままで、社会に受け入れられる。
  2. 彼は彼のままで、社会から隔絶して淡々と生活する。
  3. 主人公が様々な経験を通して愛を知り、感情を理解するようになる。社会が共感能力の低い人間を受け入れられるくらいに寛容になる。
  4. 主人公が様々な経験を通して愛を知り、感情を理解するようになる。社会は不寛容なままで受け入れられることはないが、理解してくれる人は出来て、それなりの居場所を見つける。

 一つ目、個人は変わらず、社会が変わる。
 現実社会で考えるなら、一番理想の終わり方だろう。上で挙げたLGBTQ+の話でいうと、LGBTQ+であることをカミングアウトしても誰も何も思わない世界になるということだ。もはや、カミングアウトという言葉すら必要なく、カミングアウトと呼ばれる行為がただの自己紹介となる。
 小説でこの終わり方なら、「あなたは変わる必要がないんだよ」という優しいメッセージとなるだろう。ただ、作者は楽観的すぎると言われるかもしれない。

 二つ目、個人も変わらず、社会も変わらず。
 症状の改善が難しいのであれば、現実はこれだろう。世界だって、そうそう変わっていくものでもない。
 小説でこの結末なら純文学だ。問題提起だけを行って、結論は出さない。読者はこれから先のことを考えさせられたり、「社会そのものを変えなければならない」との思いを引き起こされたりする。変化の原動力となりうるものだ。
 もしくは、「自分も社会も何も変わらなくても、生きていていいんだ」という救いの声になるかもしれない。

 三つ目、個人も変わり、社会も変わる。
 ハッピーエンドではあるが、現実世界としてはまずありえない。あったとしたら奇跡の類だ。
 小説の結末としては無難な終わり方過ぎて、ご都合主義の誹りは免れないだろう。

 四つ目、個人が変わり、社会は変わらない。
 現実の世界の話であったならば、実現可能なハッピーエンドだろう。
 小説ならば、多少ご都合主義ではあるかもしれないが、感動的なエンターテインメント小説の終わり方だ。主人公に感情移入していたとしたら、「もしかしたら自分も変わることができるかもしれない」という希望の光となるかもしれない。

 さて、果たしてこの物語の結末は……。

コンビニ人間との共通点

 ある作品を紹介するために、他の作品を持ち出すことは好きではないのだが、読み始めた動機が最初に書いた通りであるため、今回はコンビニ人間との共通点を挙げたいと思う。

  1. 主人公は感情が薄い。そのため、共感能力が低い。
  2. 共感能力が低すぎて、世間一般から『普通じゃない』という評価を受けている。
  3. 一般的な感情を持ちつつ社会から排斥されている登場人物がいる。
  4. 感情があるがゆえに、社会から排斥されて自暴自棄になっている。
  5. 二人は分かり合えないながらも交流を深める。

 こんなもんだろうか。

 コンビニ人間の主人公古倉は、共感能力が低くても、コンビニ内であればマニュアルに従うことで、コンビニ店員として「普通」の評価が得られるため、コンビニに固執した。一方、アーモンドの主人公ユンジェは、母親から「こういったときはこういう表情をする、こういう行動をする」というマニュアルをたたき込まれ、普通であろうとした。
「マニュアルに従って普通であろうとする」ところも似ている。

 そういった共通点があるだけでも、十分気になっていたところに作者のソンウォンピョンが1979年生まれの女性であることも知った。同じ年数を同じ女性として生きてきて、同じように「普通ではない」とレッテルを貼られた人間が「どういう風に社会とかかわっていくか」という小説を書いたという。

「この作者はどういった結末を用意しているのだろうか?」と、気になって、読んでみようと思ったという流れだ。

 実際、どういう結末になるのかについては、読んで確かめてほしい。

 コンビニ人間に関しては、以前に書いた書評的なものがあるので、参考にして欲しい。

『コンビニ人間』村田沙耶香【ネタバレなし】本人は言うほど困ってなさそう。

げいむすきお
げいむすきお

 ちょうど「サイコパスは偏桃体が小さい」という話を読んだところだったので、そこにも注目して読んでいたが、特別これという話は出てこなかった。出てこなかったが、そもそも、コンビニ人間との類似性の方を気にしていたから、偏桃体に関してはどっちでもよかったので構わない。


 中野信子著「サイコパス」を読んでかいた書評的なものがあるので、これも参考にして欲しい。

『サイコパス』中野信子【感想】サイコパスは病気なのか個性なのか。

 確かにサイコパスは共感能力が低いのではあるが、ただそれだけで治療の対象とみるのはどうなのかとも思う。他人に迷惑をかけないタイプのサイコパスであるならば、それも一つの個性だ。もし『治療』によって、みんなと一緒に心から泣いたり笑ったり出来るようになったとしたら、それは『治療』前と同じ人間なのだろうか、と思う。泣いたり笑ったりする事が『人間らしい』なんて誰が決めたのだろう。それが出来なければ『治療』されるべきなのだろうか。そういった所も込みでアーモンドを読んで欲しいと思う。

2 COMMENTS

アバター KAZUMI

はじめまして。KAZUMAKIと申します。
とても興味深い内容でした。
社会の中での多様性について考えさせられました。とても興味が湧いたので読んでみようと思います!
また拝見させていただきます!
よかったら私のチャンネルもご覧になってください!
〈ライフハックサラリーマン〉

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gamesukio gamesukio

>KAZUMIさん
コンビニ人間とセットで読むと、より面白いんじゃないかと思います。
KAZUMIさんはビジネス本を主に読まれているんですね。
チャンネルも拝見させていただこうと思います。

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