あの夜、同級生と思しき見知らぬ男の電話を受けた時から、私の戦いは始まった。魅力の塊のような彼は、説得力漲る嘘をつき、愉しげに人の感情を弄ぶ。自意識をずたずたにされながらも、私はやがて彼と関係を持つ。恋愛に夢中なただの女だと誤解させ続けるために。最後の最後に、私が彼を欺くその日まで──。
一人の女の子の、十九歳から五年にわたる奇妙な闘争の物語。渾身の異色作。
(新潮社公式ページより)
魅力的な女性だと思われたいけど、そう思っていることがバレるのは恥ずかしい。
思春期を過ぎた女性なら大なり小なり持っているものだと思うが、主人公はその気持ちを利用されて変な男に引っかかる。作者はその気持ちをデフォルメし、独特の世界観と言語感覚で悪意を持って描く。
自意識過剰だった過去の自分を思い出して、傷をえぐられながら読むのが一番楽しめそう。
あらすじ
簡単にまとめると『自尊心は高いけど自己肯定感の低い女──熊田由理が、自信家で口の上手い男──向伊に騙されていいように扱われる話』だ。男に騙されやすい女の要素の一つとして「女友達が少ない」ことが挙げられるが、まさにそういう女が主人公。女友達に相談したら間違いなく付き合いを止められる案件に突っ走る。男は男で、褒めたり貶したり上手く使い分けて主人公をマインドコントロールしていく。
そうなると、目的は「体か?」「金か?」ということになるが、「体が目当て」というほど女に魅力があるわけではなく、「金が目当て」というほど男が金に困っているわけでもない。
では、男の目的は何なのか? 騙される女の一人称で話が進むことに加えて、その女の興味が自分にばかり向かっているため、ハッキリとはわからない。が、多分、この男にとって「女を騙すこと」は、女から何かを得るための手段なのではなく、騙すこと自体が目的で、そのこと自体を楽しんでいるんだろうと思う。
ネットでのレビューを見た感じ
知り合いの女性がこんな男に騙されて酷い目にあわされたとしたら、それを見る私はどんな気分だろうと、何人かの知り合いを頭に浮かべて当てはめてみると、思い浮かぶのはもっと酷いことになっている人ばかりで、よく考えたら主人公の状況なんて別段大したことはないな、という結論に至った。男のやり方はともかく、結果としては大したことはないだろう。
無論、それは第三者的に状況だけみたら大したことはないという話で、本人の中ではいろんな葛藤がある。
この話ではその愚かしい葛藤、痛々しい選択、自尊心を保つためだけの自分自身に対する意味の無い言い訳が詳細に描かれている。
そのせいかネット上のレビューをあれこれ読んでみると、黒歴史をえぐられているかのような気持ちを持った人が多数いるようだ。
その一方で、主人公も含めて嫌な奴ばっかりで登場人物全員に全く共感が出来ないという人も多かった
私は騙す男側に共感し「これは嗜虐心をくすぐられる話だ」「主人公の痛々しさを楽しむ話だ」と思って読んだ。
主人公に同情しにくい
そもそも、向伊に騙されている主人公があまり可哀想に思えない。と、言うのも、騙されていようがいまいが、特別幸せな未来があったようには想像できないからだ。
本来あるべき未来の幸福が失われたとしたら可哀想に思うだろう。幸せな人間が誰かの仕業で不幸になるならばその誰かを酷いやつだと思うだろう。
でも、この話にはそのどちらもがない。
向伊と出会っていなくても、熊田由理は八方向に不平不満を思い、凡庸さを誤魔化すために心の中でだけ言い訳を繰り返し、自らの選択を他人のせいにして、生きていたことだろう。
加えて、物語が終わった時点でも、熊田由理はまだ20代前半。本人にその気さえあれば、ここからいくらでも幸せに向かうことは出来る。
だが、多分、熊田由理はそんなことはしないだろう。向伊に会う前と同じく、周りに流されて、以前と変わらぬ日常を送るに違いない。
私の好きなシーンはここ
向伊の友達である奥出が、最後に放ったセリフが特に好きだ。何気ない冗談を装った発言。最初の方からあった伏線がここで回収されるとは、という思いがした。自意識過剰ぶりに気付かれることが、熊田由理にとって一番恥ずかしいことだろう。そこを上手くついて馬鹿にしている。
最後に
奥出の最後の嘲笑もそうだが、主人公をいじめにいじめていて、「さては作者はドSだな」「いや、作者は女性だし、主人公に共感して読むことを想定しているならMなのだろうか」「もし、読者に対して『共感して黒歴史をえぐられろ』という思いで書いているのだとしたらやっぱりSなのだろうか」などなど、読み終えて頭に浮かんだが、実際は果たして……。
作者がSなのかMなのかを知るためにも、作者自身の経歴が詳しく知りたくなったし、他の作品はどうなのか読んでみたくもなった。
読みながら、頭に浮かべていたのは10年以上前に付き合っていた女性のことだ。彼女の持ち出してきた別れ話がまとまった後「あなたが一番傷つくタイミングで別れを切り出してやろうとずっと思っていた」と言っていた。「チヤホヤされたい」が口癖で、男にモテるための本を濫読したり、メイドカフェでバイトしたりと研究熱心な人だった。その熱心さは自信のなさから来るものだったのだろうと思う。
私は本心から可愛いと思っていたし、思った通りのことを伝えていたけど、その言葉をあまり信じていないようだった。彼女もこの物語の主人公のように、傷つけられた自尊心の復讐をしてやろうとずっと思っていたのだろうか。