『人のセックスを笑うな』山崎ナオコーラ【ネタバレなし】過激なタイトルだが切なさが前面に出る恋愛小説。

内容(公式サイトから引用)

 19歳のオレと39歳のユリ。ふたりの危うい恋の行方は? 年上女性との恋愛を斬新な文体で描いたせつなさ100%の恋愛小説。全選考委員が才能を絶賛した文藝賞受賞作。映画原作。

(河出書房新社公式ページより)

げいむすきお
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 表題作「人のセックスを笑うな」は、第41回文藝賞受賞作品で、第132回芥川賞候補。わりと過激なタイトルで、作者のペンネームも”山崎ナオコーラ”と独特のセンスであることも相まってイロモノ小説なんじゃないかと思ってしまうが、中身は淡々とした語り口で恋人との別れを描く切ない恋愛小説だ。

 作者はエッセイ「ブスの自信の持ち方」でペンネームとこの作品のタイトルについてこんな風に書いている。
ペンネームに「山崎ナオコーラ」というふざけたものを用意したのも、これまでの人生であだ名をつけられたことがまったくない人間の弾けっぷりだったと振り返るし、タイトルを『人のセックスを笑うな』としたのも、下ネタをまったく口にしたことがなく、「セックス」という言葉を発音したことさえなかった私だったからこそ、「書名にはインパクトを」と世間の怖さを知らずに出せたタイトルだったと思う


 折角、切ない話なのにそこではっちゃけちゃったの? と思うと、作品とはまったく別のところで切ない思いがする。

あらすじ

人のセックスを笑うな」と「虫歯と優しさ」の二作の短編が入った短編集。

人のセックスを笑うな

 表題作。19歳の主人公と、39歳の猪熊サユリとの関係を描いた恋愛小説。

 猪熊サユリは美術の専門学校の講師で、生徒からはユリちゃんと呼ばれている。主人公も猪熊サユリを”ユリちゃん”と呼ぶ生徒の中の一人。ユリちゃんは、顔にはシワがあって、そこそこ贅肉もついている。髪も長い黒髪で、パーマをかけてはいるもののぼさぼさで、化粧も口紅位しかしておらず、授業の時は汚れたスモックを着ていて、いわゆる年齢よりも見た目が若い”美魔女”ではなく、年齢相応の見た目をした39歳の女性だ。

 しかし、19歳の主人公はそのしわも贅肉も愛しく見つめる。ユリちゃんの性格はおっとりとしていて、まれに年上らしくお姉さん口調になることはあっても、何かを教えるということはなく、むしろ逆に弱さをさらけだす位で、主人公はユリちゃんのことを守るべき存在として接する。二人は年齢差を感じさせない関係だった。

 主人公は若い女性に相手にされないからとか、年上が好きだからというわけではなく、純粋に猪熊サユリ個人に魅力を感じて、恋愛関係を築いている。ただ、一つ大きな問題があって、それは猪熊サユリは既婚者だということだ。だからといって、背徳的な感情に酔うわけでもなく、ただ、事実そうだというだけで、主人公がユリちゃんの夫に嫉妬したり、ユリちゃんを恨んだりすることはなかった。

 そんな二人の別れを思わせる主人公の述懐から始まる物語。

虫歯と優しさ

「人のセックスを笑うな」と同じように、主人公が恋人との別れを確信するところから始まる。歯医者で虫歯の治療をしてもらいながら、あれこれと恋人のことを思い起こす。テレビ雑誌を作る会社で一緒に働いていて仲良くなり、価値観も話も合う相手だが、近頃は忙しくて会えていない。主人公は”二年近く、お付き合いしたけれど、もう潮時かしら“と涙ぐむ。

 その日の夜、恋人から電話があり、一週間後に会う約束をする。主人公は”おそらくそこで、しっかりとした別れ話をするだろう。“と覚悟を決める。

この小説の魅力

「人のセックスを笑うな」は年の差カップルの純粋な恋愛を描いた話だ。この話の魅力は、主人公の純粋さ、ユリちゃんの天真爛漫さ、二人を見守る主人公の友人たち、二人の関係に気付きながら見守るだけのユリちゃんの夫などの人物の魅力と、ユリちゃんの可愛さや主人公の切なさを引き立てる文章表現だろう。

 別れを予感させるところから始まり、付き合い始めたころのことや付き合っている間のことを思い出していく。読む方はその先にある別れを思いながら、主人公がいかにユリちゃんを愛おしく思っているかを読み進めなくてはならない。

「虫歯と優しさ」も同じく切ない別れに焦点を当てた話で、その切なさにすべてが注ぎ込まれている。

切ない別れを読みたい人に。

 切なさに特化した物語だ。人間誰しもに切ない別れがあって、新しい出会いをして、また別のところで切ない別れがあって、と繰り返しながら生きている。出会いも別れも経験せずに生きていくことは出来ない。

 現実の別れで感じる「切ない」という感情はどちらかというとマイナスの感情だ。マイナスの感情ではあるが、小説なら楽しむことが出来る。ホラー小説で「怖い」というマイナスの感情を楽しむのと同じことだ。

 この短編集に入っている二つの話の切なさの根源は、登場人物の何気ない仕草の描写にあるように思う。

 それらはどこにでもあるような些末な仕草だが、とても詳細に描かれていて、どこにでもある些末さゆえにリアルに感じられる。そういった詳細な描写をするときの、鼻につくぎりぎり寸前位のところだがすっと腑に落ちるような他の人にはない山崎ナオコーラの表現が切なさに拍車をかける。

げいむすきお
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 20歳年上はないが、9歳年上の女性と付き合ったことがある。表題作の二人と同じく年の差を感じない関係だった。20代前半の頃の話だ。その相手は離婚歴があって、子供が二人いた。子供とも仲良くしていたが、相手の女性に別れを切り出された。その女性曰く「自分が子の親だから思うんだけど……二十数年も大切に育ててきた息子が9つも年上の子持ちの女を連れてきたとしたら、あなたの親は悲しむと思う」。

その時は「嫌いになったのを上手いこと言って誤魔化しているだけじゃないのか」という思いが捨てられずにいたが、今ならなんとなくとはいえ、その時の彼女の気持ちが分からなくもない。「言葉すべてがそのまま思いのすべてではないだろう」という考えは今も昔も変わらないにしても「嫌いになったのを誤魔化している」とは思わなくなった。

色んな人と付き合って、時には自分から別れを切り出す経験をして「このままずっと一緒にいてもどちらとも幸せにはなれないだろう」と思えば、嫌いになったわけでなくとも「付き合い続けることは出来ない」という思いが生まれることはよくわかった。


「人のセックスを笑うな」も「虫歯と優しさ」も別れを切り出される側の一人称なので、別れを切り出す側の本心がどこにあるのかはわからない。ただ、それでも単に主人公が嫌になったわけではないだろうことは痛いほど伝わってくる。

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