『殺人鬼フジコの衝動』真梨幸子【ネタバレなし】最初から最後まで途切れることなく陰鬱な世界の住人フジコ。

内容(公式サイトから引用)

 一家惨殺事件のただひとりの生き残りとして、新たな人生を歩み始めた十歳の少女。だが、彼女の人生はいつしか狂い始めた。またひとり、彼女は人を殺す。何が少女を伝説の殺人鬼・フジコにしてしまったのか? あとがきに至るまで、精緻に組み立てられた謎のタペストリ。最後の一行を、読んだとき、あなたは著者が仕掛けたたくらみに、戦慄する!

(徳間書店公式ページより)

げいむすきお
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 この作品は、イヤミスとして有名だ。イヤミスとは、読後にイヤな気分が残るミステリーのことで、他には湊かなえの『告白』や沼田まほかるの『ユリゴコロ』などがある。

 人情として、一番ショックが大きく嫌な気分になるのは、主人公が「上がって落ちる」ことだろう。例えば、不幸な人が不幸なままでいるよりも、不幸な人が一度幸せになって再び不幸になる方が読んでいてつらい。

 その意味では、この作品の主人公フジコはずっと不幸なままで、読者としてフジコの不幸に関しては慣れてしまう。いくら読み進めても、もう落ちるところまで落ちてしまうしかないと、諦めの気持ち以外は出てこなくなってしまう。生育環境に同情はするものの本人の歪んだ性格も相まって、「いつかは幸せになってほしい」と思うことも出来ない。


 それでも「あとがき」には衝撃を受けてしまう。「上がって落ちる」わけではない。もう底まで来たからこれ以上は落ちようがないと安心していたら、底が割れて、上がったわけでもないのにまだ落ちた、という印象だ。

あらすじ

この小説は、ある女の一生を描いたものである。女は「殺人鬼フジコ」と呼ばれた。少なくとも十五人を惨殺した、殺人鬼。

『殺人鬼フジコの衝動』は、この一文から始まる。その後、この一文を含む「はしがき」を書いた人間と、「殺人鬼フジコ」の物語を書いた人間は別であることが明かされる。
 では、この「はしがき」を書いたのは誰なのか? 本文にあたる「殺人鬼フジコの物語」を書いたのが誰なのか?
 それらは何も記されないままに、”それでは、私はここでいったん、ペンをおきたいと思う。読者のみなさんが、この小説を差途中で歩おりだすことなく、「あとがき」までたどり着かれることを心から祈りながら。“と話が締められる。

 この書き手の祈りが成就し、「あとがき」まで読み終えたとき、読者は「はしがき」の存在を思い出して、そこに記されていた内容を確認することになる。

救いが期待できないはじまり

 この物語は小学生時代から始まる。家では親の虐待、学校に行けば級友からのいじめ、放課後は中学生まで混じっての性的暴行。なんの救いもないところから始まる。読んでいて苦しい。絶望的な状況が苦しいのではなく、明るい未来が想像できないことが苦しい。

何一つ解決しない

 いくら読み進めても不穏な空気は払拭されない。表面上、人生が上向いているように見えるときでも、本人の人格の問題や周囲の人間のちょっとした一言から、その先の挫折を常に予感させられ続ける。

「はしがき」で、主人公が殺人鬼であると明言されてはいるものの「誰がなんのために書いた小説なのか」については、意図的に伏せられたような書き方であった。
 そのため、「実は真犯人は別にいてフジコに汚名をかぶせることが目的なのでは?」「なにか叙述トリックが仕込まれているんじゃないか?」などといろいろ考える余地が残されていて、「救いのない主人公が救われる方法はないか」と逃げ道を探しながら読むことも出来る。
 しかし、悪意に包まれた世界の中で、陰鬱な出来事が続けざまに起こり、「こうなってしまってはもはやフジコが救われる方法はない」と読み進めるほどにあきらめの気持ちが強くなっていく。

最後に

げいむすきお
げいむすきお

 ホラーは「恐怖」という負の感情を楽しむジャンルなわけだが、イヤミスも同様に「なんとなく残る嫌な感じ」という負の感情を楽しむジャンルだ。

 そんなイヤミスの女王の一人に数えられる真梨幸子の作品だけあってたっぷり憂鬱な気分にしてくれる。しかし、ただ憂鬱な気分になるだけではない。最初から最後まで途切れることなく陰鬱な世界でありながら、緩急があって飽きずに読み進められ、さらにその上で、最後に読後感を悪くする仕掛けも用意されている。

 
 良いイヤミスだった。

真梨幸子の他作品

『インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実』真梨幸子【ネタバレなし】【前作解説ネタバレあり】続編というより前作を上巻とした下巻。前作で完成していると考える人にとってはスピンオフに思えるだろう。

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